最後の遺言

いよいよ本日おそうしきを迎えます。

今日を迎えるまでに生前生理的なものをすべて終わらせるつもりでしたが、断捨離は捨てきれず、エンディングノートは頓挫し、物件解約も全部はできず、遺言も今書いています。

この一年、5年後にすべてを失くすと言われた5年目ということで、年明けから「最後の一年」をテーマに過ごしてきました。

それは「死」を考える絶好の機会であり、東北行ったり沖縄行ったり四国行ったり終活雑誌を読んだり漫画を読んだりと、あれこれ試みて自分なりに去年よりも理解を深めることができたように思います。

「死」は人間が最も恐れる「恐怖」であり、その恐怖から逃れるために生きてるうちに生きてる人があれやこれやと考えてきたのだけど、それを誰かに伝えるのも難しくて、結局その人も死んじゃうのでまた、あれやこれやと考えて、あんまり答えの出ないまま繰り返されていくものなのでしょう。

その中で結構この考え方っていいんじゃない?ってのが宗教だったり先祖崇拝だったりして、今日まで続いているのだと思います。

しかし人間は自分と異なる考え方を排除しないと耐えられない設定にされているので、そこでもまた軋轢を生んだりして、なかなか嫌なことからは逃れられなくなっちゃってます。

結局答えなんてものは一生見つからないのだろうけど、もし見つかってしまっても虚しいだけのような気もしていて、それならば探してる過程をいかに楽しむかだろうなというのが、今のところの結論です。

人間は面倒臭い生き物で、不安があるとそっちに意識を引っ張られ、楽しくない状態で限られた人生の貴重な時間を費やしてしまいます。

だから優先順位の一番上に「楽しむ」を無理矢理にでも置いてしまえば、結構いい感じに日々を過ごせるんじゃないかと思います。

ただし自分が楽しむためには、他人に邪魔されないように、他人の楽しみを奪わない範囲で楽しむ方法を考えなければいけません。自分以外は自分ではないことを理解して、自分の「楽しい」を探すのも、きっと楽しいことだと思います。


来年も、是非それぞれの感じ方で楽しんでもらえたらと思います。

それではさようなら。